1.1 日本の人口構成と疾病構造
日本の人口
日本の総人口は約1億2,380万人であり、2024年現在、総人口の約37.9%が東京都、神奈川県、大阪府、愛知県、埼玉県に集中している。そのうち東京都の人口が最も多く、総人口の約11.4%にあたる[1]。
加速する少子高齢化[2][3]
日本の医療制度は、人口の高齢化と少子化の大きな課題に直面している。戦後のベビーブーム(1947-1949年生まれ)によって高度経済成長と共に出生数が大きく増加したことから、1960年代までは総人口に占める若者の割合が多く、高齢化率は他国と比べても高くなかった。しかし、その後は異例の速度で高齢化が進み、高齢化率は1970年に7%を超え、1994年には14%を超えた。ベビーブーム世代の女性が最も出生力の高い年代には第二次ベビーブーム(1971-1974年生まれ)が起こったが、第三次ベビーブームが起きなかったことが少子化に大きく影響したと言われている。
高齢化は日本の社会保障に大きな影響を与えている。2015年にはベビーブーム世代が前期高齢者(65~74歳)に到達し、2025年には高齢者人口は約3600万人に達した[4]。これまでの高齢化の問題は、高齢化の進展の「速さ」の問題であったが、2015年以降は高齢者数の「多さ」がより問題となった。特に、2025年にはベビーブーム世代が75歳になることから、高齢者の中でより高齢の人が増える「超高齢社会」になっていくとされる年として注目され、介護・医療費等の社会保障費の急増と併せて「2025年問題」と言われた[5]。全人口の4人に1人は後期高齢者になり、前期高齢者を含めた高齢者の割合は全人口の30%を超えると推計されていたが、実際には2025年9月現在で高齢化率は29.4%となった。しかしこの数値は、過去最高値であり、今後も上昇していくことが見込まれている[6]。
さらに、2040年には第二次ベビーブーム世代が65歳以上となり、高齢者人口がピークを迎えることが予想されている。高齢者人口の伸びは緩やかになっていく一方で、現役世代の人口減少は加速していくため、労働力不足が深刻な問題とされており、この問題は2025年と比較して「2040年問題」と言われている。一方で、社会保障の給付費については比較的緩やかな伸びとなることが予想されており、2040年の負担水準でも、2023年現在のフランスやスウェーデンの水準を下回ると推定されている[7]。
下記のグラフからも、日本は諸外国に比べても異例の速さで高齢化が進んでいることが分かる。一方、中国や韓国でも今後同様の高齢化が進むと予想されるため、日本における超高齢社会のあり方が今後の世界のモデルケースとなることが期待される。
一方、我が国の出生数の減少も著しい。年間出生数は、1949年の約270万人をピークに、1975年に200万人を割り込んだ後は増加と減少を繰り返しながら緩やかに減少し、2016年には100万人を割り込んだ。合計特殊出生率は、2006年から上昇傾向が続いていたが2014年に低下し、2015年の再上昇の後、再び低下している。2024年現在で過去最低の1.15を記録しており、少子化が深刻な問題となっている[8]。近年ではさらに少子化が加速しており、若年人口が急激に減少する2030年代に入るまでが、こうした状況を反転させることができるかどうかの重要な分岐点であると言われている。2030年までに少子化トレンドを反転できなければ、日本は人口減少を食い止められなくなるとされる[9]。
平均寿命・健康寿命と疾病の状況
日本人の平均寿命は、女性が87.14歳、男性が81.09歳と世界トップレベルである。また健康寿命(健康上の問題で日常生活に制限のない期間)においても日本は他国に比べて高水準であり、2022年時点で男性が72.57年、女性が75.45年となっている[10]。そのため、高齢者の中でも健康な人が多く、高齢者の社会参加や就労のニーズが高いことが特徴であり、2024年の調査では35.6%の高齢者が収入を伴う仕事を行っていると回答している[11]。
次に日本人の疾病の状況についてみていく。日本では、全国の医療施設を利用する患者の傷病などの状況を把握するため、3年に1度患者調査が実施されており、以下のグラフは傷病分類別の受療率を表したものである。入院では、精神及び行動の障害、循環器系の疾患が多く、外来では、消化器系の疾患や健康状態に影響を及ぼす要因及び保健サービスの利用が多いことが読み取れる。
また、主要死因別にみた死亡の状況は年代によって大きく変化してきた。戦後、結核による死亡が大きく減少し、わが国の死因構造の中心が感染症からいわゆる非感染性疾患(NCDs)に大きく変化したことがわかる。近年の傾向では、悪性新生物、心疾患、老衰が3大死亡要因となっており、特に近年の高齢化の進行に伴い、老衰の死亡率が上昇していることが読み取れる。脳血管疾患や、肺炎は低下傾向にある一方、自殺による死亡は他国と比較して高い水準が続いている[12]。
妊娠満22週以後の死産と生後1週間未満の早期新生児死亡を合わせた周産期死亡については、戦後一貫して改善され、諸外国と比較しても低率となっている[13]。
- [1] 総務省統計局「人口推計」https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2024np/index.html
- [2] 内閣府「令和7年度版高齢社会白書(全体版)」https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2025/zenbun/pdf/1s1s_01.pdf
- [3] 厚生労働省「令和6年(2024) 人口動態統計月報年計(概数)の概況 」https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai24/dl/gaikyouR6.pdf
- [4] 総務省「統計からみた我が国の高齢者」https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics146.pdf
- [5] 今井博久(2016).「2025年問題とは何か:公衆衛生が直面する問題の諸相」『保健医療科学』 Vol.65 No.1 pp.2-8 https://www.niph.go.jp/journal/data/65-1/201665010002.pdf
- [6] 総務省「統計からみた我が国の高齢者」https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics146.pdf
- [7] 厚生労働省「2040年を展望した社会保障・働き方改革本部 のとりまとめについて」https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001471353.pdf
- [8] 厚生労働省「令和6年(2024) 人口動態統計月報年計(概数)の概況」https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai24/dl/gaikyouR6.pdf
- [9] こども家庭庁「こども未来戦略」https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/fb115de8-988b-40d4-8f67-b82321a39daf/b6cc7c9e/20231222_resources_kodomo-mirai_02.pdf
- [10] 内閣府「令和7年度版高齢社会白書(全体版)」https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2025/zenbun/pdf/1s1s_01.pdf
- [11] 内閣府「令和7年度版高齢社会白書(全体版)https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2025/zenbun/pdf/1s3s_01.pdf
- [12] 一般財団法人 厚生労働統計協会「国民衛生の動向Vol.71 No.9 2024/2025」
- [13] 一般財団法人 厚生労働統計協会「国民衛生の動向Vol.71 No.9 2024/2025」
1.2 医療保険制度
日本の医療政策における公的医療保険の役割の大きさ
日本の医療政策の基本原則は、皆保険とフリーアクセスである。つまり、全ての住民が何らかの公的医療保険制度に加入しており、患者が医療機関や受診頻度を自由に選択できる。そのいずれも公的医療保険制度によって支えられている。
日本の医療においては、1961年以降、全ての住民が何らかの公的な医療保険制度に加入する、いわゆる皆保険制度が原則とされている。これは、他国と比較しても、日本の医療保険制度の大きな特徴であると言える。このため、医療制度の中でも公的医療保険制度の重要性は極めて高い。
日本の医療保険は、被用者保険、国民健康保険、後期高齢者医療の3つに大別される。
- 被用者保険(職域保険):会社員や公務員など事業者に使用される75歳未満の者が被保険者となる。
- 国民健康保険:被用者保険の加入者(被保険者とその家族)でも後期高齢者医療の被保険者でもない者(自営業者、農業従事者等)が被保険者となる。
- 後期高齢者医療制度:原則、75歳以上の高齢者が被保険者となる。
日本の国民医療費(国内の医療機関における治療費用の推計)は、主に公費負担給付・医療保険給付(被用者保険・国民健康保険・後期高齢者医療制度)・患者等負担分に分けられる。その内訳は以下図の通りである[14]。国民医療費に占める医療保険制度が占める割合は約80%であり、非常に大きいことがわかる。また、公費負担医療給付についても、医療保険制度に準じた仕組みで処理されている。そのため、公費負担医療給付の約半分を占める生活保護による医療給付(医療扶助)は、国民皆保険の原則に対する主要な例外であるものの、医療政策を考える上ではやはり公的医療保険の制度が重要になる。上記の公的医療制度に含まれない自由診療などの患者全額自己負担の医療は、現時点では国民医療費の1.2%を占めるに過ぎない。
皆保険と並ぶ、日本の医療制度のもうひとつの特徴はフリーアクセスである。これは全ての人が自分の判断で医療機関を自由に受診することができることを意味している。アクセスは医療提供体制の要素であるものの、この仕組みも公的医療保険制度によって保障されている。国内の大多数の医療機関が公的医療保険制度のサービス提供者(保険医療機関)として登録しているため、加入している医療保険制度にかかわらず一定の自己負担で必要な医療サービスを受けることができる。
医療保険の枠組みを超えた取り組み
厚生労働省では上記の医療保険の仕組み以外にも、主要疾病や特定事業の対策を進めている[15]。ここではその概要を記載する。
| 関連法令・状況等 | 重点課題・医療提供体制の整備等 | |
|---|---|---|
| がん |
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| 循環器病(脳卒中・心疾患) |
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| 糖尿病 |
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| 精神疾患 |
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| 難病 |
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|
| 感染症 |
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| 腎疾患 |
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|
| 救急医療 |
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| 災害時医療 |
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|
| へき地医療 |
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| 周産期医療 |
|
|
| 小児医療 |
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|
| 地域保健医療 |
|
|
| 在宅医療 |
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|
| 歯科保健 |
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|
| 自殺対策 |
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| 医療安全管理 |
|
|
以上の厚生労働省の医療政策のほかに、内閣府・内閣官房における医療関連政策が存在する。例として、内閣官房の「健康・医療戦略」が挙げられる。2013年、日本が世界最先端の医療技術・サービスを実現し、健康寿命の延伸を達成すると共に、医薬品や医療機器を戦略産業として育成して日本経済再生の柱とすることを目的として、「健康・医療戦略室」が内閣官房に設置された。当時、健康・医療分野はそれぞれの省庁に広く渡っている為、内閣官房による司令塔機能が必要とされて設置されたものであり、その後は「健康・医療戦略推進本部」と名前を変えた。2014年には健康・医療戦略推進法が成立し、同年、推進法に基づいた「健康・医療戦略」が誕生した。戦略の中では、1. 世界最高水準の技術を用いた医療の提供 2. 経済成長への寄与が謳われており、現在に至るまで省庁の枠組みを超えた様々な政策が打ち出されている。
そのほかにも、複数の官庁の所管をまたいだ横断的なアプローチの代表例として、認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)が挙げられる。高齢者人口と共に認知症の人の数が増加する中、認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を目指して2015年に策定された[16]。従来の認知症施策と異なり、認知症の人やその家族の視点が重視されたことや、厚生労働省を筆頭に関係する12省庁の連名で公表され、福祉以外の視点が多く盛り込まれた点で注目を集めた。2019年からは、新たに「認知症施策推進大綱」が定められ、「共生」と「予防」が重視されるようになった。具体的には、認知症の早期発見・早期対応の整備や地方自治体と連携した地域支援体制の強化等が行われている[17]。こうした流れを受けて2023年には認知症基本法が成立し、国や地方自治体は計画を策定して認知症施策の実施に取り組んでいる。
- [14] 厚生労働省「令和4年度 国民医療費 制度区分別」
- [15] 厚生労働統計協会(2024)『国民衛生の動向 2024/2025 厚生の指標増刊』pp. 10-12
- [16] 厚生労働省 内閣官房・内閣府・警察庁・金融庁 消費者庁・総務省・法務省・文部科学省 農林水産省・経済産業省・国土交通省「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)(概要)」https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/nop1-2_3.pdf
- [17] 厚生労働省「認知症施策推進大綱(概要)https://www.mhlw.go.jp/content/000519053.pdf
1.3 公的医療保険の歴史
歴史を知ることは、現在の日本の医療制度を理解するうえで有用である。日本の公的医療保険制度は、大まかに言って職域保険(健康保険)、地域保険(国民健康保険)、年齢独立保険(後期高齢者医療制度)という異なる3つの保険制度から成り立つ。そのほかに、生活保護による医療保障(医療扶助)も存在するが、これは公的医療保険制度に準じて運用されている(Section 1.2参照)。3つの公的医療保険制度と生活保護制度が、現在、ほぼ全ての日本国民と日本国内の長期滞在者(合わせて1億2,700万人以上)をカバーする世界最大級の医療保険制度の礎となっている。このように複数の制度、複数の医療保険者により運営されている背景には、1922年の健康保険法成立以降、様々な制度改正が行われてきた歴史的経緯がある。
社会の発見:公的医療保険制度のはじまり
18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで起こった産業革命の波は、やがて日本にも到達した。19世紀後半には官営工場が民間に払い下げられたのを契機に、日本の産業革命が本格化した。当時の近代産業の中心は繊維産業であり、農村から都市へ女性や子どもの労働者が流入していった。こうした労働者は劣悪な環境下で労働を強いられ、結核などの傷病によって郷里へ帰される者も多かった。こうした状況を受け、社会運動が発生し労働者保護法制を定める気運が高まるが、使用者側の強硬な反対によって何度も挫折した。ついに1911年には工場労働者を保護する工場法が制定されたが、その内容には妥協が重ねられ、法施行も5年後の1916年を待つことになった。とはいえ業務上の傷病や死亡について事業者側の扶助責任を定めており、日本における医療保険の萌芽であった。
欧州を中心とした第一次世界大戦によって、日本では重化学工業が飛躍的に発展していき、成年男性労働者が著しく増加していく。しかしながら大戦後は不況に見舞われ、大量の失業者が発生し、ロシア革命の影響もあって労働運動が過激化しながら増えていく。こうした状況下で政府や政党も労働者の地位に配慮する必要性に駆られた。そこで政府は、穏健な労働運動を容認することで階級対立を緩和することを目指した。過激な労働運動の弾圧を目指す一方で、1922年には労働者保護を目的とした健康保険法を成立させた。これが現在の職域保険の直接の源流である。公的扶助制度よりも早い段階で社会保険が成立するという未熟な状況であり、施行に向けて多くの調整が必要となった。その一つが医療提供の仕組みである。安価な医療が流通することに対して警戒を持っていた医師会は、健康保険法上の医療提供を実施する役割を希望したが、その結果政府と医師会の間での診療報酬額などをめぐる交渉が常態化した。その後1923年の関東大震災によって施行は延期され、1927年にようやく施行された。しかし同年の金融恐慌、1929年の世界恐慌によって経済が不況に喘ぐ中、健康保険制度の施行当初は不安定な運営であった。
ファシズムの経験:第一次国民皆保険
日本経済は世界恐慌からいち早く回復したと言われている。一つは高橋是清による積極財政であり、もう一つは1931年満州事変に象徴されるような軍需による景気である。これは、伸長するファシズムと組み合わさることで、国力増強や健民健兵を目的とした医療政策の必要性が注目され、公的健康保険制度の拡充をもたらした。1937年の盧溝橋事件を皮切りに日中が全面戦争に至ると、その動きは一層加速する。
まず好景気によって不安定だった健康保険の運営が軌道に乗った。恐慌によって生糸の価格が暴落したことで紡績・繊維産業が衰退し、代わって軍需を支える重工業が基幹産業となった。これによって健康保険の被保険者のうち成年男性が占める割合が高まり、好況と相まって健保財政が好転した。その結果、1934年には健康保険法が改正され、対象者の範囲が拡大された。1939年には船員、ホワイトカラー、労働者家族が新たに給付対象となるような法整備が行われた。
地域保険が誕生したのもこの時期であった。不況からの立ち直りが遅れていた農村の窮乏対策として立案された。恐慌による出稼ぎ労働者の解雇と生糸の価格下落は、農家の家計に大きな影響を与え、1930年の豊作による米価急落と翌年の不作によって農村の経済状態は深刻さを増した。内務省社会局は農村の健康・栄養状態を改善する方策として、被用者以外の国民一般を対象とする保険制度創設の検討を開始した。また、農村の窮乏は兵力供給源を農村に依存する陸軍にとっても解決すべき問題だと認識されており、次第に軍部の関与が強まっていく。陸軍の推進力を盾にして、1938年に国民健康保険法が成立した。ただし、この時点での国民健康保険は任意加入とされていた。
1941年に政府担当部局であった厚生省外局保険院では「社会保険構成基本要綱」を発表し、今後の社会保険制度全般にわたる構想を明らかにした。その中には地域保険と職域保険の二本立てを基本とすることや、強制加入による皆保険の実現、給付内容の充実による給付格差の解消などが謳われた。これを具現化するものとして、1942年には職域保険の制度統合と地域保険の強化のための法改正が行われた。その結果、それまで医師会が主導権を握っていた医療提供に関する事項のほとんどが政府の決定権に移譲され、国民健康保険は強制加入制とされるという大改正が行われた。続けて政府が国民皆保険運動を実施した結果、1943年度末には市町村の95%に国民健康保険組合が設置され、第一次国民皆保険と言われる状況に至った。しかしながら、この国家主導の保険体制は、戦局悪化による財政難や医師・医薬品不足によって実質的な役割を果たせなかった。ただし、この時期に整備された保険の制度は、その後の公的医療保険制度の展開を支える基盤となった。
福祉国家の発展:国民皆保険の再達成と医療保障内容の充実
1945年に第二次世界大戦が終結すると、GHQ(連合国軍総司令部)による占領政策のもと、国民健康保険はファシズムの産物ではなく公共的な社会保障制度として位置づけられる。1948年には国民健康保険法が改正され、市町村が任意で国保条例を制定した場合に当該地域で国民健康保険が設置されるという分権的な仕組みになった。その結果、戦後の荒廃した社会経済状況のなかで国保条例が整えられる市町村には限りがあり、1956年の時点では日本の人口の約3分の1が医療保険に未加入の状態だと推計された。
こうした状況を受け、医療保険の未適用者を全て国民健康保険に加入させる気運が高まった。1958年には国民健康保険法が成立し、市町村任意の事務から国の責任で行う事務として再度位置づけ直された。これは国から市町村への財政移転の理論的根拠であり、支援を受けた市町村では国保の整備が進んだ。1961年には全ての市町村において国民健康保険組合が設置され、「国民皆保険」が達成されたと言われている[18,19,20]。
安価にアクセスできるようになったことで国民による医療需要は大いに高まった。とはいえ、各保険制度の間で保障される給付水準に格差が存在した。例えば、健康保険の被保険者本人は全額保険給付を受けられる一方で、国民健康保険の被保険者は5割を自己負担することになっていた。こうした社会の格差是正の要望に応えるように、医療保険制度は1970年代にかけて充実していく。国民健康保険の世帯主と世帯員の自己負担を、後に健康保険の家族の自己負担を、順次5割から3割へと軽減した。加えて、仮に自己負担額が一定水準を上回る場合には超過部分について保険から支給を受けられるという「高額療養費制度」も創設された。
また、高齢者医療費の自己負担を公費により肩替わりする制度が実現した。もともと地方自治体において広がっていた制度を、国レベルで採用したという経緯であった。1972年の老人福祉法の一部改正により、「福祉元年」とよばれた翌1973年1月から老人医療費支給制度が実施された。これによって70歳以上の高齢者は自己負担無くして、つまり無料で医療を受けることができるようになった。
この時期は各制度が国からの財政的支援を獲得しながら給付内容を拡充させていく時代であった。その裏では特に中小企業を中心とする職域保険(政府管掌健康保険)で深刻な財政赤字が生じており、財政的に安定している大企業の職域保険から財源を移転する案が議論されたが実現しなかった。高度経済成長を背景に、こうした財政問題も最終的には国からの補助という形で一旦解決することができた。
福祉国家の再編:制度的分立と財政的融合
1973年のオイルショックは先進国の福祉国家化に大きなブレーキを与えた。日本では高齢者の医療利用拡大による医療費増大を念頭に、公的医療保険制度の財政的持続可能性が問われるようになった。自己負担は漸次軽減してゼロを目指す方針から、一定の公平な負担水準へ収斂させる方針へ風向きを変えた。この転換は、1984年の健康保険法改正によって、それまでゼロだった被用者本人の自己負担が1割に引き上げられたことに象徴される。また、新制度が増えていくなかで、一方で各制度の間を接ぎ木するように複数の制度が分立し、他方でこれらの制度群は財政的に融合していた。
先駆となった制度は1982年に制定された老人保健法であった。高齢者の医療のための支出は1980年までに1973年以前の4倍以上に膨れ上がり、問題視されていた。特に、退職した高齢者が職域保険から地域保険へと移行することで、国民健康保険への財政的影響が問題となっていた。高齢者を国保から分離する年齢独立型制度が構想されたが実現せず、高齢者を現行の各保険に留めたまま、高齢者の数などに応じて保険制度間での財政調整を行うこととされた。同時に、高齢者に対して少額の自己負担を課すことで「老人医療費無料化」の時代に終止符を打った。
また、退職した被用者保険の加入者が国民健康保険に加入することで、国保財政を圧迫するという医療保険制度の構造上の問題へ対応するため、1984年には、退職者医療制度が創設された。退職者医療制度は退職によって国保へ移行した被保険者とその家族について、現役サラリーマンと事業主の保険料を主な財源としてその医療費をカバーするものである。これによって退職によって自己負担率が突然上がることを緩和するとともに、国民健康保険の他の加入者の負担を軽減することを目指した。
老人保健法と退職者医療制度という二つの制度は、2006年の高齢者医療制度改革によって再編された。まず、すべての75歳以上の後期高齢者を対象とした年齢独立型の制度がついに創設された。つまり対象年齢となると、それまで加入していた職域保険や地域保険を脱退して強制的にこの制度へ移行する。この制度の財源構成は約5割が税金で、後期高齢者自身の保険料が約1割、残る約4割は現役世代が支払う保険料からの支援金で賄っている。65歳から74歳の前期高齢者については各々が職域保険もしくは地域保険に加入した状態で、保険者間の財政調整を行う老人保健法類似の仕組みが設けられた。
こうした制度を通じて退職高齢者による財政負担を軽減された地域保険に対して、実質的に財源を提供する側となった職域保険の側からは厳しい視線が向けられることになった。その結果、国民健康保険では医療費の地域差を改善していく方針が採られるようになった。また、国民健康保険の財政運営に都道府県を新たに組み込むことで地域保険の財政安定化が図られた。地域差の主因として考えられた医療提供体制は都道府県の所管事務であったこともあり、市町村と都道府県が協力して地域保険の効率的運営に携わる体制が整えられた。
医療提供体制の改善という新たな政策課題は、「社会的入院」という問題として議論された。これは、当時の介護サービスの利用手続きや利用者負担の面で課題があるため、必要以上に治療目的の病院が利用されることで医療資源の費消が行われているという論理で説明された。こうした問題を解決するため、1997年に介護保険法が成立した。これにより、医療保険制度が担っていた高齢者医療のうち、介護的色彩の強い部分が介護保険に移行することとなった。国民健康保険の負担の一部を切り出して別の制度で対応したという側面がある。介護は医療と異なりサービス量が多いほど利便性が高まるため、介護保険制度では要介護度に応じた給付の上限額が設定された。また、介護保険の保険者は市町村とされ、保険料は65歳以上の者(第1号被保険者)と40歳以上65歳未満の医療保険加入者(第2号被保険者)によって負担されることとなった。
新たな福祉国家の模索:中長期的制度運営
人口構造や社会経済環境の変化に対応するために、各種の制度が分立的に整備されてきたが、それらは高齢者の医療費という接点を通じて財政的にはリンクしていた。こうした対応は現在まで引き継がれているが、あくまでも暫定的なものであり、本来は医療保険制度の体系全体を一元的に議論することが必要だと認識されている。
そもそも1984年の健康保険法改正に際して「負担の公平と給付の平等を図る」ため「医療保険制度の統合一本化」を行うとされていたが、利害調整が難航し漸進的な改革の連続にとどまっていた。こうした中、2005年頃からは政権が医療保険制度の財政状況を問題視する声が急速に高まり、医療制度改革の気運が高まった。その結果2006年に行われた法改正によって、上述の高齢者医療制度創設のほか、療養病床再編成、予防重視の政策によって医療費適正化を目指すことや、都道府県単位の保険者の再編・統合を進めることが定められた。結果的には医療保険制度の統合は達成されなかったが、個別制度を超えた改革目標に基づいて個別の改革プログラムが体系的に整理されることとなった。
体系の内容が充実する一方で、こうした体系をどのように維持するのかが問題として浮上してきた。経済成長の落ち込みにより、国民の負担を引き上げることが難しいなかで、いかにして医療制度の財政的持続可能性を担保できるのかが焦点となった。特に、小泉政権期の医療費削減によって「医療崩壊」が起きたと喧伝された状況への反省を踏まえ、自民党は野党を巻き込んだ財源確保の議論を行うようになる[21]。社会保障給付が急増する「2025年問題」への対応を念頭に(Section 1-1参照)、2008年に社会保障国民会議を設置し、受益と負担をセットとして国民に示す政治スタイルが採られた。日本政治はその後自民党から民主党へと大きな政権交代を迎えるが、当初民主党は社会保障の大幅な拡充に向けて舵を切ろうとしたものの財源不足によって実現しなかった。こうした議論を通じて、社会保障の負担と給付を一体として議論する必要が受け入れられ、党派を超えた社会保障と税の一体的議論が続けられた。その結果、超党派の合意に基づき、社会保障制度改革推進法が2012年に成立し、社会保障制度改革国民会議が設立された[22]。
この会議の提言を踏まえ、少子化対策、医療・介護、年金の各分野の改革の検討課題と法案提出の目途、措置を講ずべき時期を定めた持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律(プログラム法)が2013年に成立し、その後の医療政策はプログラム法に記載された内容に基づいて順次法案の検討が進められるようになった[23] 。一例として、2015年の国民健康保険法改正案の成立は、その後の医療保険制度の在り方を左右する大きな改革であった。これまで市町村が運営していた国民健康保険の保険者として都道府県を加えるもので、これによって都道府県は国保財政運営と医療提供体制で大きな権限と責任を持つようになることを意味する。
2008年に設置された社会保障国民会議以降も、中長期的な制度運営方式はその後も維持されており、2014年には社会保障制度改革推進会議、2019年には全世代型社会保障検討会議、2021年には全世代型社会保障構築会議が設置され、社会保障政策全体の絵姿を構想している。社会・経済・人口の統計をもとにターゲットイヤーを定めて、中長期的な社会保障制度全体の在り方を議論し、その結果に基づいて医療政策を実施するという方式が定着している。
- [18] 北山俊哉(2011)「福祉国家の制度発展と地方政府 –国民健康保険の政治学」有斐閣
- [19] 佐口卓(1977)「日本社会保険制度史」勁草書房
- [20] 吉原健二・和田勝(2008)「日本医療保険制度史」東洋経済新報社
- [21] 東京財団. 「消費税アーカイブ第5回 福田政権(後編)」. https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3665
- [22] 清家篤(2023) .「支え手を増やす社会保障制度に」. 財務総合政策研究所. https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202304/202304o.pdf
- [23] 中村秀一(2021). 「社会保障と税の一体改革は何であったか -社会保障の充実・安定化の側面-」.社会保障研究 2021, vol. 5, no. 4, pp. 435-448. https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/sh21030102.pdf
1.4 主要な政策
| 年 | 政策 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1922 | 健康保険法制定 |
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| 1938 | 国民健康保険法制定 |
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| 厚生省設置 | ||
| 1939 | 職員健康保険法制定 |
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| 1942 | 健康保険法改正 |
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| 1948 | 医療法制定 |
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| 1958 | 国民健康保険法改正 |
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| 1961 | 国民皆保険達成 |
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| 1963 | 老人福祉法制定 |
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| 1972 | 老人福祉法改正 |
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| 1973 | 健康保険法改正 |
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| 1982 | 老人保健法制定 |
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| 1985 | 第1次医療法改正 |
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| 1990 | 福祉関係8法改正 |
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| 1993 | 第2次医療法改正 |
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| 1997 | 介護保険法制定 |
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| 第3次医療法改正 |
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| 2000 | 健康保険法等の一部を改正する法律 |
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| 第4次医療法改正 |
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| 2002 | 健康保険法等の一部を改正する法律 |
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| 2005 | 介護保険法改正 |
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| 2006 | 医療制度改革 |
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| 健康保険法等の一部を改正する法律 |
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| 第5次医療法改正 |
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| 2008 | 介護保険法及び老人福祉法の一部を改正する法律 |
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| 健康保険法施行令等の一部を改正する政令 |
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| 社会保障国民会議報告書のとりまとめ |
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| 2009 | 健康保険法施行令等の一部を改正する政令 |
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| 2011 | 介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を改正する法律 |
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| 2012 | 国民健康保険法改正 |
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| 2013 | 健康保険法等の一部を改正する法律 |
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| 社会保障改革プログラム制定 |
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| 2014 | 地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律 |
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| 健康保険法施行令等の一部を改正する政令 |
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| 第6次医療法改正 |
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| 医療介護総合確保推進法制定 |
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| 2015 | 持続可能な医療保険制度を構築するための国民健康保険法等の一部を改正する法律成立 |
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| 第7次医療法改正 |
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| 2017 | 第8次医療法改正 |
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| 健康保険法施行令等の一部を改正する政令 |
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| 地域強化システムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律 |
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| 2018 | 国民健康保険の都道府県単位化 |
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